毎月20日21日22日は「どら焼」の日です。
8月 「戦後60回目の甲子園」
昭和21年夏に、戦争で中断していた全国高校野球選手権大会が再開されましたが、当時、甲子園球場はまだ占領軍に接収されていたので、西宮球場で行われたそうです。義父である先代の田丸道夫は、この戦後第1回大会で京都代表のエースピッチャーとして出場し、準優勝を果たしました。決勝戦では、浪華商業(大阪)の平古場昭二選手と一騎打ちの投手戦だったそうです。なので甲子園大会の時期になると、野球一筋だった先代を思い出します。
戦後60回目を数える今年の夏の甲子園大会は、早稲田実業の斉藤君と駒大苫小牧の田中君の投手戦で例年以上の盛り上がりを見せてくれ、3回忌を迎えました先代も喜んでいる事でしょう。生粋の京おとこだった先代は、決して自分の口からその英雄ぶりを語る事はありませんでしたが、先代と一緒に戦い抜いた友人が懐かしくお話くださいます。
地下足袋で練習してきた選手たちがスパイク靴を初めて手にしたのは大会直前。うれしさの余り皆でスパイクを履いて河原町通りを歩き廻ったこと。
大会中は、1チーム6畳2間の関学学生寮に泊り、すいとんや芋パンで戦い抜いたこと。応援団からストッキングを手作りで作ってもらったこと。生きるのが精一杯の時代、周囲の人の協力で野球が出来ただけで幸せだったこと。
私が「球児たちの復活」佐藤光房著書の中に描かれている先代を見つけたのは、先代が亡くなった後でした。この著書の中には、困難な時代に、全国大会を目指した球児たちと、大会復活に努力された関係者の方々がノンフィクションで描かれています。
今は、日本が豊かになり、用具や空腹を辛抱する事もなく、恵まれた環境の中で野球をすることが出来ますが、それはそれで競争率が高くなり、いつの世も変わらず甲子園は狭き門です。だからこそ応援する者も胸が熱くなるのでしょうね。




