笹屋伊織のはじまり

笹屋伊織が京都に暖簾を掲げたのは、今から300年以上前の1716年。ときは江戸時代、徳川吉宗が徳川幕府八代目将軍に就任した年です。

伊勢の城下町で和菓子職人をしていた初代笹屋伊兵衛が、その腕を認められ御所の御用を仰せつかり、京へと呼び寄せられたことが始まりです。 以来、京都御所や神社仏閣、茶道お家元の御用を勤めて参りました。

行器

ほかい 行器

江戸時代、こちらの行器(ほかい)と呼ばれる大きな箱にお菓子を入れて御所まで運んでいました。 笹屋伊織の行器は見事な螺鈿細工が美しく施され、見る者の心を奪います。大切にお菓子を並べて運んだ御所までの道。 少なくとも200年以上前から伝わるこの行器は、今では使われることはなくなりましたが、 変わらぬ姿で今日も笹屋伊織を見守っています。

京菓子の老舗として

五感の芸術とも呼ばれる京菓子。1200年もの間、日本の中心として栄えた山紫水明の都は、 豊かな地下水に恵まれ、周辺地域から上質の材料が集まりました。 それは菓子作りにとって、恵まれた環境であり京菓子の発展を支えた理由です。

 

江戸時代に結成された上菓子屋仲間の流を汲む京菓子の老舗「菓匠会」は、現在17軒です。
私たちは京菓子司としての誇りをもって、伝統と技術を守って参ります。

笹屋伊織のこれから

「和菓子ってなんだか格式張って難しい」や「古いイメージ」を連想される方もいらっしゃるかもしれません。 でも和菓子には「日本の心」が詰まっています。 使われる材料は昔から変わることなく、職人は今日もその手に感覚をしっかり刻み、年中行事やお祭りには欠かせない、和菓子だけが語れる物語が存在します。 小さな和菓子が伝えるのは、単に美味しさだけではありません。 和の心を思い起こさせ暮らしの中で、食べ物に留まらない役割を果たしているのです。

 

人間関係の希薄化やコミュニケーションのあり方が多様になった昨今。 それでも、和菓子がそこにあるだけで、誰かと美味しさを分かち合い、季節の訪れを感じ、 様々な会話のきっかけを、和菓子は届けてくれます。 「美味しいね」その一言から始まる、小さな喜びと出会いや笑顔を、私たちはこれからも大切にしていきたいと願います。 季節と暮らしを繋ぎ、人と人を繋ぐ。そんな和菓子を作っています。